シェア先生の授業リポート

2006/03/22
熊本県 県立熊本高等学校の巻

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火の国の雄『阿蘇山』

【2010年回想版作成】
「あんたがた どこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ」 
幼いころよく耳にした童歌。歌いながら手まりする女の子の姿が目に浮かぶ。
子供のころ肥後熊本は遠いところなので、おそらく一生訪れることはないだろうと思っていた。ところが機会に恵まれて行けることになった。
さて、「熊本どこさ」である。熊本といえば、個人的にはまず『阿蘇山』が浮かぶ。そして『熊本城』、さらには『水前寺公園』となる。この地は火の国転じて肥後の国となった説もあるほど火山の多い地域である。その雄『阿蘇山』はひときわ目を引く。この阿蘇山に見守られつつ凛とした『熊本城』がある。景観である。日本三名城のひとつに数えられるだけあって印象的だ。この城に着いた時はすでに暮れていて城内に入れなかった。周囲を歩くことにした。


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日本三名城の一つ『熊本城』

ライトアップされた城の白と黒の鮮やかな色調に高い石垣のうえでピンクに色づく満開の桜。夕暮れ時、そこにはなんともいえぬ妖しい美しさが醸しだされていた。17世紀の初頭に戦国武将で知られる加藤清正公が築城したそうだが、その規模の大きさや石垣の見事さなどから近世の城郭のなかでも屈指の城とされている。ほかでは『水前寺公園(成趣園)』がお勧めである。静かに散策できる。学校の近くだったので授業後に立ち寄った。公園は豊富な阿蘇の伏流水で作られた池中心の桃山式回遊庭園だそうだが、築山や浮石、芝生、松などの植木を用いて東海道五十三次の景勝を模している。実に見事な公園だ。

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校門の石柱には「社会の礎たれ」との大切な教えが

出前授業は県立熊本高等学校(『熊高』)である。『熊高』の創設は、『熊本県中学済々黌』より分設されて『熊本県中学第二済々黌』と称された1900年にさかのぼる。授業は伝統校らしく畳が敷き詰められている武道場で行ったが、生徒からは能力の高さばかりか心身ともに磨かれた資質も感じた。流石である。なお、この後『熊高』と「一幹両枝」の関係にある『県立済々黌高等学校』の生徒にも東証にて幾度か授業することになったが、両校誕生の経緯を想うと妙に感慨がわく。
さて、熊高の門柱には表札がかかっていない。この門柱は元熊本城正面入り口の下馬橋の橋脚だったそうである。近くを毎日舟が通り過ぎていたためこの橋脚の一面は擦れて凹んでいる。『熊高』の初代校長は橋の架け替えの時、この橋脚をもらい受けて学校の門柱とした。そこには「たとえ世に知られなくとも社会の礎たれ」という校長の無言の教えが込められている。

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『水前寺公園』には東海道五十三次の景勝が

この度の授業の準備から当日の運営にご尽力いただいた篠塚先生、小坂先生、吉永先生! 大変ありがとうございました。心から感謝申し上げます。


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